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橋谷(はしだに)
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橋谷の概要《橋谷の概要》 天田内から雲原川に沿ってかなり遡った所で、天ケ峰(632m)中腹に位置する。途中に関西電力の橋谷発電所がある。さらに上流へ遡れば丹波国天田郡雲原に至る。橋谷村は、江戸期〜明治22年の村名。天正8年細川藤孝・忠興領、慶長6年からは宮津藩領。 ![]() 橋谷村は江戸期〜明治22年の村名。橋谷は明治22年〜現在の大字名。はじめ河守上村、昭和26年からは加佐郡大江町の大字、平成18年からは福知山市大江町の大字。 《橋谷の人口・世帯数》 39・21 《主な社寺など》 ![]() 氏神は山王権現 稲荷神社 猿田彦神社 愛宕神社 学校は人民共立小学校(生徒数男16・女3)があった。 《交通》 府道山東大江線 《産業》 串柿が名産だったという。 橋谷の主な歴史記録《丹哥府志》 〈 ![]() 【山王権現】 【付録】(牛頭天王、宇国明神、荒神社) ![]() 《丹波・丹後の伝説遍歴》 〈 ![]() ![]() 《大江のむかしばなし》 〈 ![]() お大師さんが、栗をくれ言うちやってねえ、ほんで、 「栗は一年に一遍しかなれへんさかいに、ようあげまへん」言うたやって。ほたら、 「そんなことあれへん、なるようにしたるさかいにくれ」言うちゃったいうて、恵んであげたいうんです。それをお大師さんやいうことを知らずにね、もうぼろぼろの衣を着た乞食坊さんじゃもんで。 ほしたら、それからそのちごのの野だけにはねえ、一年に二回栗がなる。ほんまに二回なりよりましたで。 ![]() 橋谷の小字橋谷 桂 中村 ハタ 長トノ 関連項目![]() ![]() |
![]() ![]() 資料編の索引
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【参考文献】 『角川日本地名大辞典』 『京都府の地名』(平凡社) 『大江町誌』各巻 『丹後資料叢書』各巻 その他たくさん |
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