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引土新(ひきつちしん)
付:本行寺 |
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引土新の地誌《引土新の概要》 「ヒキツチシン」とか「ヒキシン」とも呼ばれている。引土村地内の田辺町に続く地が町場化したものであるが、今は西舞鶴市街地の中央部で、住宅や商店などが混在する。南は朝代に隣接していて、今も往時の面影が残るが、ヒキシンと言えば、遊廓があった所で…、とそんな場所でもあったそうな話も聞く。 中央に法華宗妙光山本行寺があり、江戸期は門前を本行寺口と称していた。裏山の西山一帯に町制時の西山公園がある。桜が咲いて花見ができる。 引土新町は江戸期〜明治22年の町名。田辺城下の1町。正徳4年に初出(竹屋町史)。享保12年の丹後国田辺之図による町屋は、南北52間、家数46軒。寛保2年には52軒(竹屋町文書)。延享3年紺屋町からの出火で22軒が焼失(竹屋町史)。当町内に足軽屋敷の鉄砲町があった。明治2年舞鶴町に所属。「府地誌」によれば、それまでは引土村に属したが、同8年分離したという。同22年舞鶴町の大字となる。昭和13年からは舞鶴市の大字。 《人口》125《世帯数》42 《主な社寺など》 本行寺 《交通》 引土新の主な歴史記録−本行寺−![]() 《丹後国加佐郡寺社町在旧起》 〈 ![]() 日蓮宗 開山日応上人 後奈良天院御宇弘治二年(1556後奈良天皇将軍足利義輝丹後守護一色八代義幸)開発 本尊釈迦 多宝 番神堂あり ![]() 《丹後国加佐郡旧語集》 〈 ![]() 京北野五辻恵光山 本行寺 妙光山 本隆寺末 本隆寺開基 日真上人 当時境内六百四拾壱坪 嶋崎替地トモ 人王百五代後奈良院御宇弘治二丙辰年 開山 日雄上人 本尊 釈迦 多宝 番神 一間四方 拝殿 一間半四方焼失 大黒堂 新造 客殿 八間半ニ五間焼失後七間ニ六間 庫裏 六間ニ四間 門 一間半ニ五尺焼失 当住職伝来書写 後奈良院御宇弘治二丙辰年百七拾九年に及ふ本山第四世日雄上人葦創也 初ハ安久村に有其後京極丹後守高知侯城主之時家臣前波九右衛門英檀たり毎に通ひ遠きを歎て高知侯に願ふて今の所に移す 高知侯ヨリ寺領一石壱斗五升寄附三男兵太郎出家せしむ 若年にして卒去法名号ニ究章院殿清池蓮久大重子ト 修理太夫高三侯代亡弟究寛院殿の香花の為田園を増す都て弐石五斗弐升一合也 寛永十二乙亥年ト云々 ![]() 《丹哥府志》 〈 ![]() ![]() 《加佐郡誌》 〈 ![]() ![]() 《舞鶴市民新聞070323》 〈 ![]() 本行寺 住職 林 祐永 京極家より拝領した二地の一部は町を一望する眺めのよい場所で、大正二年以来、西山公園として街の人々に慕しまれてきた。春には桜の景勝地として、山には雪洞が立ち並び、家族連れや団体客の花見で終日賑わった。往時、この地には華やかな朝代遊郭があり、その名残りとして寺の境内には、現在も明治三十五年に遊郭中から寄進された一対の石灯籠が本堂正面にすえられている。 山の桜は老木となり淋しくなった為、数年前より朝代町内の有志により桜の復活を願い、若木の植樹が行われている。 本堂裏の泉水には、天然記念物のモリアオガエルが生息しており、産卵時期には独特の鳴き声とともに、泡に包まれた綿あめのような卵が池の周りにいくつも見られる。 当寺には、京極家から奉納された「福の神大黒天」や家老前波家から奉納された「鬼子母尊神・十羅刹女」、「木の又地蔵尊」が法華経の守護や商売繁昌、安産祈願の神として祀られている。本堂内には、舞鶴鎮守府司令長官、伊藤雋が海軍少将時代に書かれた「静観」の大額が掲げられている。 前住職の日圓上人は、皇室ゆかりの総本山本隆寺、第九十六世管長を務め、在任中には昭和天皇の大喪の礼に列席された。現在、本行寺の法灯は、第二十八世祐永上人により受け継がれている。 舞鶴市引土新一二 ![]() 現地の案内板 〈 ![]() 当寺は室町時代の後期後奈良天皇の弘治二年(一五五六)に、京都本山本隆寺第六世證誠院日雄聖人によって開かれた寺で、城主京極丹後守高知公の菩提寺であります。安久兵右衛門は当寺の開基旦那です。 創立当初は安久にありましたが、城主の外護により、慶安六年(一六〇一)の冬現地に移建せられて現在に至っています。 京極家の菩提のため拝領した妙光山の一部を大正二年以来西山公園として観光地にしています。 昭和四十五年庚戌四月十二日 開山第四百遠忌の砌 第廿七世 真芳日圓識 … ![]() 引土新の小字引土新町 鉄砲町 浜寺関連項目![]() ![]() ![]() |
![]() ![]() 資料編の索引
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【参考文献】 『角川日本地名大辞典』 『京都府の地名』(平凡社) 『舞鶴市史』各巻 『丹後資料叢書』各巻 その他たくさん |
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