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富貴屋(ふきや)
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富貴屋の概要《富貴屋の概要》 町の中央部で府道17号線と主要地方道網野峰山線と交わり、そこを西に曲がったところの商店街。 富貴屋町は、明治2~22年の町名。明治2年峰山町内の町名改正により、鉄砲町・寺坂町の各一部をもって起立した。同年、福喜神社・富貴屋稲荷大明神を勧請(現在の五幸稲荷神社)。同17年からは峰山15か町の1町となり、同22年峰山町の大字となる。 富貴屋は、明治22からの峰山町の大字名。平成16年から京丹後市の大字。現在は峰山町第5区に含まれる様子。 ![]() 《富貴屋の人口・世帯数》 84・37 《主な社寺など》 ![]() ![]() 薬師山という震災記念館のある丘の南側。昌峰山と号し、高野山真言宗(もと嵯峨大覚寺末)、本尊は聖観世音。 当院はもと縁城寺の支院(般若院)であったが、峯山藩初代京極高通によって吉原山蔵王権現の別当職を命じられ、明暦2年(1656)別当屋敷を現在地にもらったのに始まるという。こうした関係から増長院代々の住持は縁城寺から派遺されていた。 本堂のほか、行者堂・薬師堂があった。この二堂はかつて薬師山に所在したと伝える。現在、本尊の役行者像、薬師如来は本堂に安置される。 蔵王権現の御旅所ともなり、このほか菅の愛宕社の別当も兼ね、また文化8年(1811)金毘羅宮が勧請されてからはその別当職も勤めている。峯山領の雨乞・日和乞は縁城寺・増長院で行われていた。 ![]() 境内の東と南側のへりに弘法大師の小さな石坐像88体があり、首なし大師とよばれる。天保11年(1840)増長院が金毘羅宮近辺に安置していたものを、神仏分離後増長院境内に引き取ったものという。移転前後に大半は首がなくなったと伝える。 ![]() 見た範囲ではたいてい首はついてるが、よく見れば後に補修でくっつけたらしい胴体と首が合ってない像も見受けられる。 逆修塔があり、「峰山古事記」に「天文八年八月七日敬白其余ノ文字不分、往古安村ヨリ杉谷へ通路此山ノ下ナリト云、伝フレハ路傍ノ供養塔ナラン」とみえるというが、ご覧のように判読はできない。 増長院も昭和2年の丹後大震災で全壊し、現在の堂宇は同四年の再建である。 『丹哥府志』 〈 ![]() 昌峯山増長院は元発信貴山縁城寺の寺中なり、何れの頃爰にうつせしや年歴詳ならず、然れども今境内に天文四年の石碑あり、是を以て考ふれば吉原越前守爰に居城せしより以前にあり。 【蔵王権現】(祭八月廿七日) 館の背に権現山といふ高山あり、是古城のある處なり。其頂上に蔵王権現を安置す、其下に又小金権現の社あり。八月廿四日昌峯山増長院の上人神輿に先つて山に登り謹而神体を神輿に遷し、これを舁きて山を下る、館の後に倉門といふあり是より行列をなして、北町より裏門を出て札町を通り、上町中町より田町へ出て増長院へ帰る、是を御旅といふ。同廿七日又前の如く行列を立て、鉄砲町より横町を通りて下町へ出て中町上まちを通り裏門へ入り館の前に至る焉、神主も亦従ふ。是日は藩の士古幟を出して神輿の前後に従はしむ、市街よりは屋台を出す略宮津祭の如し、此祭を上の祭といふ。市街の氏神は安村にあり、祭六月十四日。 ![]() 『中郡誌稿』 〈 ![]() (峰山古事記)一増長院 縁城寺門内に而般若院と云を引移し御祈願所と成る門内古碑有天文八年八月七日敬白余の文字不分往古安村より杉谷へ通路此山下成と云伝ふれば路傍之供養塔ならん (実地調査)丹哥府志には天正四年とあり今実地を検査するに天文の字だに読む事能はず可惜 (縁城寺文書)…略… (峰山明細記)一真言宗(京嵯峨大覚寺末寺発信貴山縁城寺一山之内)昌峰山増長院 蔵王権現御別当 御祭礼之節御旅所 境内(東西三十間南北二十間) 寺(五間に八間半) 護摩堂(二間四面本堂続) …略… (縁城寺年代記抄)…略… (峰山町誌稿)増長院 東西三十間南北二十間面積三百七十一坪真言宗山城国嵯峨大覚寺の末派なり(以下略) (峰山古事記)一薬師堂 増長院の上元薬師堂と云処に有しを同院之門外一段低き処え移し又文化年中築地出来今之処へ移す増長院より古き堂と云伝ふれば一色時代より有しならん (峰山町誌稿)元薬師山 高四丈八尺周囲五町古殿町の西にある小丘なり其東西は竹林にして西南は畑地とす南端富貴屋町に属し増長院あり其西は古殿に属し延命庵あり ![]() 『峰山郷土志』 〈 ![]() ![]() ![]() 所在地が千歳としたり堺としたり、よそ者には何が何だかよくわからないのだが、たぶん堺のようであるが、ここで取り上げておこうかと思う。 ![]() 『峰山郷土志』 〈 ![]() ![]() 《交通》 《産業》 富貴屋の主な歴史記録『中郡誌稿』 〈 ![]() ![]() 富貴屋の小字一覧富貴屋 元薬師関連情報![]() ![]() |
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【参考文献】 『角川日本地名大辞典』 『京都府の地名』(平凡社) 『丹後資料叢書』各巻 『峰山郷土志』 その他たくさん |
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