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矢畑(やばた)
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矢畑の概要《矢畑の概要》 依遅ケ尾山(540m)の南西麓、標高100m前後の地に南北に分かれて集落が立地。竹野川支流吉永川の支流・矢畑川の谷間に位置する。 中世の「屋はた」で、「丹後御檀家帳」に「一 吉長の屋はた 家五拾軒斗 …」と見える。 矢畑村は、江戸期~明治22年の村名。はじめ宮津藩領、享保2年より幕府領。当初吉永村の枝郷、のち分村独立。 。明治元年久美浜県、同4年豊岡県を経て、同9年京都府に所属。同22年八木村の大字となる。 矢畑は、明治22年~現在の大字名。はじめ八木村、大正14年豊栄村、昭和30年からは丹後町の大字。平成16年から京丹後市の大字。 ![]() ![]() 依遅ケ尾山の登り口に繋がるよい道路があって、交通はよいと思うが、まったくの山中で平らな場所がない、そこに集落がある。 ![]() さらに登ると依遅ケ尾山の登山口がある。 《矢畑の人口・世帯数》 34・17 《主な社寺など》 ![]() 『丹後国竹野郡誌』 〈 ![]() (神社明細帳) 祭神 素佐雄之命 創建不詳、応仁元年五月八日再建明治四未年五月村社に列らる、 社 殿 梁行 四尺 桁行 四尺 上 屋 梁行 二間半 桁行 二間半 籠 屋 梁行 五間 桁行 二間半 境内坪数 七百五十三坪 氏 子 七十一戸 境 内 神 社 稲 荷 神 社 祭神 宇 賀 魂 神 創建不詳、萬延元申十一月三日再建 厳 嶋 神 社 祭神 市杵島姫命 創建不詳、万延元年十月三日再建 (丹哥府志) 牛 頭 天 皇 祭九月八日 ![]() 『丹後町史』 〈 ![]() 素佐之雄命を祭る。応仁元年五、明治四未年5月村社となる。 境内には稲荷坤社(祭神 宇賀魂神)、厳島神社(神神 市杵島姫命)がある。 ![]() 《交通》 《産業》 矢畑の主な歴史記録『丹後国御檀家帳』 〈 ![]() かうおや 治郎左衛門殿 ![]() 『丹哥府志』 〈 ![]() 【牛頭天王】(祭九月八日) 【依遅神社】(延喜式) 依遅神社は今市が尾権現、市が尾の左にあり、祭六月廿四日。 ![]() 矢畑の小字一覧矢畑(やばた) 吉永谷(よしながだに) 松ノ木(まつのき) 長尾(ながお) 黒かへ(くろかへ) 是安谷(これやすだに) 神宮ノ下(じんぐうのした) シセン 中ノ島(なかのしま) 中村(なかむら) 松枝(まつえだ) 沖田(おきだ) アラキ ノガサキ 林ノ下(はやしのした) ブロ谷(ぶろだに) クズレ ヒジリ 桐ケ谷(きりがたに) 扇畑(おおぎばた) 内垣(うちがき) ママクボ 大茂(おおしげ) 田ノ垣(たのかき) カシヤヲ ドウド カマ谷(かまだに) タモノキ イカン谷(いかんだに) 市ケ尾(いちがお) 大松ノ下(おおまつのした) 平尾(ひらお) ガリガ谷(がりがだに) ヨブ子(よぶこ) ヲサキ谷(をさきだに) シイノキ 大谷(おおたに) モモ畑(ももばた) カゴバラ 荒木ノ上(あらきのうえ) トツ谷(とつたに) 大ナル(おおなる) 関連情報![]() ![]() |
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【参考文献】 『角川日本地名大辞典』 『京都府の地名』(平凡社) 『丹後資料叢書』各巻 『丹後町史』 その他たくさん |
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