丹後の地名

伊根村(いね)(旧村)
京都府与謝郡伊根町

伊根浦

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京都府与謝郡伊根町西平田・東平田・大浦・立石・耳鼻・亀山・高梨・日出

京都府与謝郡伊根村

伊根村の概要




《伊根村の概要》

 伊禰とも書いた。丹後半島の北東部に位置し、東は若狭湾に面する。もともとは今よりも広く宮津市の一部を含む。
中世の伊禰荘は、鎌倉期〜室町期に見える荘園名、建久2年10月日付の長講堂領目録に「伊禰庄役 宮津庄」、「吾妻鏡」建久6年8月6日条、「丹波国志楽庄并伊禰保」。
「丹後国田数帳」に「一 伊禰庄 二十八町七十四歩」。後世、日ヶ谷・外垣・岩ヶ鼻・大島・日出・平田・高梨・大原の8ヶ村は伊禰荘8ヶ村と総称され、岩ヶ鼻の山王社は、伊禰荘8ヶ村の産土神とされていた。
伊根村は、明治22年〜昭和29年の与謝郡の自治村名。亀島・平田・日出の3か村が合併して成立。大字は旧村名を継承し、3大字を編成。昭和29年伊根町の一部となる。
伊根町は、昭和29年〜現在の自治体名。朝妻・伊根・筒川・本庄の4か村が合併して成立。大字は合併各村の20大字を継承。

伊根浦


 伊禰浦というのは、伊禰庄の海岸に面した地域を呼び、中世末までは現宮津市の一部をも含む。岩ヶ鼻の山王社(日吉神社)の天文18年(1549)の棟札には「奉造立伊禰山王社御遷宮時御百姓中官途之人数」に「権守」の支配する村として日出村・平田村・高梨村、日出村のうちの上・下・西など現伊根町地域と考えられる村名のほかに、「大嶋」「野田」など宮津市城の地名が記されている。
近世は「伊禰浦3ヵ村」と呼ばれ伊根町の日出・平田・亀島地域をさすようになった。伊禰浦3ヵ村は内湾に臨んで集落を形成している、湾口に青島が浮ぶ風光明美の地。
伊禰浦漁業は湾内に始まり、のち湾外に発展した。舟小屋と集落の景観はこの漁村の特徴をよく表す。海岸に向けて舟小屋が妻入に並び、反対側に平入の母屋が並ぶ。その中を狭い道路が通る。水産施設・舟付場は海側に、寺社などは反対側に地割を占めている。
伊根でとれる鰤は丹後鰤と称して最高品として知られた絶品。それだけに漁場の争奪・用益故障による出入訴訟は絶えることがなかった。湾内は初め平田・亀島両村のみが用益する漁場で、2ヵ村の湾内鰤漁業による運上は一千本であった。鰤漁具は刺網であった。のち日出村がこれに加わって、共同漁場で共同漁労による共同漁獲という制度がつくられ、しかもそれは3ヵ村の村組織と一体のものであった。すなわち鰤刺網組織と、3ヵ村の田畑の一切と、3ヵ村の百姓戸口の全部とを一括して、これを百姓株化して亀島は75株、平田村は37株、日出村は12株、合計124株(1株を鰤刺網四側二場とする)とした。このような村組織の改革は、だいたい寛文8年(1668)から同10年頃までにできたとされる。
株をもつ者を百姓といい、株をもたぬ者は水呑とよばれた。伊禰浦全体の氏神的存在であった八坂神社(字亀島)の宮役も一定の百姓株をもつもののみに限られた。こうしたことからこの百姓株のことを「役儀」ともいった。湾内漁業が困難となってくると湾外の鋤崎辺りに新しく漁場が開拓された。湾内では時々捕鯨漁、イルカ漁も行われた。



宮津藩に魚納屋制度ができたが、魚を納めるものは中間集荷人の「追掛」であった。追掛の伊禰浦漁師への支払は米で後払したがそれが悪米で漁師たちを苦しめた。鰤や鯛などの漁獲物は他所売を禁じられ宮津藩は沖目附により監視を厳重にした。伊禰浦3ヵ村は安永8年(1779)伊禰浦専用の魚納屋の設置を宮津藩に陳情したが許可されなかった。伊根追掛職は寛延元年(1748)21艘であったがそのうち2倍以上に増加した。納屋と並んで糶屋・仲買連中の横暴も目に余るものがあり、嘉永4年(1851)伊禰浦漁民は藩に訴えたが有利な結末は得られなかった。
伊禰浦における百姓株制は漸次株の集中偏在が起こり、階層の差が著しくなって、明治以降無高百姓の強い要求が高まり、昭和15年5月1日、古来の「百姓」独占の制度が破られ全村平等化に改められた。


《伊根町》
伊根町は、丹後半島北東f端、与謝郡最北部にあって東は若狭湾に面し、西北は丹後半島の脊梁をなす山地を境として竹野郡に、南は宮津市に接する町。町域の大部分は碇高原が占めているが、筒川沿いには水田もひらけている。海岸線には伊根、新井、泊、本庄、蒲入と漁港が並ぶ。明治22年の町村制施行によって、亀島・平田・日出のいわゆる伊相浦3ヵ村によって伊根村、菅野・本坂・野村の3ヵ村によって筒川村、蒲入・長延・本庄上・本庄宇治・本庄浜・野室6ヵ村によって本庄村、津母・峠・畑谷・泊り・六万部・井室・新井・大原8ヵ村によって朝妻村が成立していた。昭和29年、伊根・筒川・本庄・朝妻四ヵ村が合併して伊根町となったもの。
海岸部はよい漁場に恵まれた。内陸部はかつては米作・養蚕・畜牛・製炭・杜氏出稼などで生計を立てていたのが、昭和35年以来の高度経済成長と同38年の豪雪などにより離村が激増して丹後地方でも最も過疎化の著しいところになっている。この地には豊かな民俗芸能・民話が数多く受け継がれ、丹後における最も密度の高いところである。

《伊根村の人口・世帯数》1.0653・433(平田・亀島・日出の合計)

《交通》

《産業》


伊根の主な歴史記録


『注進丹後国諸荘郷保惣田数帳目録』
一 伊祢庄 廿八町七十四歩内
  二町三段三百四歩     松田刑部左衛門
  七町二段二百九十七歩  小嶋方 飯尾備前
  十八町三段百七十歩   東方  飯尾備前
    但十六町七段二百五十二歩 反銭沙汰之

『丹哥府志』
伊根浦の庄
南波見崎より北鷲崎に至る三、四里の間、海浜にそふて村落相連る凡十余村、是を伊根浦の庄とす。日置浜村の続きにあり。
【波見崎】(日置村の北)
海浜にて崎といふは岬の略語なり、みさきは海崎の略語なり、凡海に突出したる處を総て崎といひ見崎といふ、其小なるものを鼻といふ、是海浜の通称なり。伊根浦より以南与謝風景の拘はる處なれば総て与謝の海といふ、与謝の海の内にて崎の大なるもの三ツ、鷲崎なり、波見崎なり、黒崎なり、黒崎と波見崎と相対す、是より以南は海も穏なり、是より北は余程海もあらし、されど漁人などは内海の如くいふ。鷲崎より北は誠に大洋にて千里の目を極むべからず。余会て句あり云。方斯海外有何州。渺々長天潮於通。
◎里波見村(波見崎の北)…略…
◎奥波見村(里波見村の奥)…略…
◎長江村(里波見村の次)…略…
◎岩ケ鼻村(長江村の次)…略…
◎外垣村(岩ケ鼻村より西へ入る)…略…
◎日ケ谷村(外垣村の奥)…略…
◎厚垣村(日ケ谷村の北にあり、厚垣のつづきに越山、薮田の二村あり、又南に当りて槙村あり、皆日ケ谷村の端郷なり、槙村より奥波見村へ出る)…略…
◎大島村(岩ケ鼻村の次)…略…
◎小坪村(大島村より上阪峠を越えて小坪に来る、是より田原村へ道あり)…略…
◎日出村(小坪の次、其間に下阪峠あり)…略…
◎亀嶋村(高梨、立石、耳鼻、亀山以上四ケ村の惣名なり)…略…
◎高梨村(日出村の次)…略…
◎平田村(高梨村の次)…略…
◎立石村(鳥屋の次)…略…
◎耳鼻村(立石村の次)…略…
◎亀山村(耳鼻村の次)…略…
◎大原村(平田村より一里、是より大原嶺を越て新井村へ出る)…略…

『丹哥府志』
【伊根浦】(大島村の次、小坪村より亀山村に至る凡九ケ村、これを伊根浦といふ。名所小鏡に稲浦に作る、伊根は稲の万葉仮名なり)
 家集  わかめかる与謝の入海かすみぬと  人には告げよ伊根の浦風 (鴨長明)

『丹後与謝海名勝略記』(貝原益軒)
【伊根の浦】 名所也。伊根は惣名にして凡日出より亀島村まて入海の裏向なり。晴岸に網をさらし漁火波を焼風景一ならす。與佐海辺一臨の勝景なり。丹後鰤といふは此所にてとる。鯨なとも取也。
家集 わかめかる與佐の入海かすみぬと  海士には告よいねの浦風 (鴨 長明)

『大日本地名辞書』
【伊根】平田日出亀島の三村、今合同して伊根村と云ふ、東鑑「建久六年丹後国志并伊禰保、領家雑掌解到来、地頭後藤左衛門尉基清」とある亦此とす。府志云、伊根浦は与佐の海上にも、一段の勝景なり、謂ゆる丹後鰤は此浦にて漁る、鴨長明の歌なりとて、
わかめかるよさの入海かすみぬとあまには告げよ伊根のうらかぜ、〔夫木集〕
又云、亀島と云ふは伊根浦にあり、今は村の名となりて、島をば蒼島といふ、橋立記曰、蒼島周廻十四五町許、常磐木生ひ茂りて、青螺を浮べたる如く、島の形亀の如し、亀島と名付しも此故なり、又此辺の海岸に亀岩あり、形奇なり、一説に万代の浜といへるも此なりと、府城の北四里半の船路とす。
○水路志云、伊根港は亀島と称する一小半島の西側にあり、港内闊さ四鏈長さ八鏈、港口に青島ありて、東西二口に分る、東口は幅一鏈余、西口は約二鏈、共に通航し得可きも、西口を最安全とす、港内水深二尋及至五尋、概ね軟泥底にして能く各方の風を保障し、四時平穏の泊地たり、港首平田村に湧泉あり。亀島の東角を鷲崎と云ふ、鷲崎の北一里に新井崎あり、今朝妻村に属す、此崎は歌枕に子之日崎と云ふに同じと。新井崎の東に冠沓の二嶼あり。
遥なる子の日の崎にすむあまはみるめをのみや引きやよすらん、〔夫木集〕
補【伊根浦】○宮津府志〔重出〕伊禰の浦は惣名にして、日出村・平田村・亀島村の三村なり、入海にして与佐の海辺一段の勝景なり、丹後鰤。鯨など此処にて取るなり。
○与謝鰤 ○山海名産図会、丹後与謝に捕るもの上品とす、是は此海門にイネと云ふ所ありて、椎の木甚多く、其実海に入を魚の飼とす、故に美味なりといへり、○北に天乃橋立南に宮津、西は喜瀬キセノ戸、是与謝の入海なり、魚常に此に遊長するに及んで出んとする時を窺ひ、追網を以てこれを捕ふ。
補【平田】与謝郡○地誌提要、平田村に港あり、東西八町南北十二町、深さ拾五仞、南に向ふ、港に青島あり、周囲八町余、又西に日出港あり、深さ八仞、南に向ふ○伊根浦を曰ふ。
補【新井崎】○宮津府志、子日、新井相同じ、新井崎は鷲崎より外にて、橋立よりは五里余も北なり、是非をしらず。


重要伝統的建造物群保存地区・現地の案内
重要伝統的建造物群保存地区
伊根町伊根浦「舟屋の里」

■地区概要
名称:伊根町伊根浦伝統的建造物保存地区
所在地:京都府与謝郡伊根町字日出、字平田及び亀島の各一部
面積:約310.2ヘクタール
(東西に約2650m 南北に約1700m)
町条例施工日:平成15年12月25日
国選定年月日:平成17年7月22日

■保存地区の伝統的建造物等の数
建造物(主屋・舟屋・土蔵など432件)
工作物(石段など 5件)
環境物件(樹木など15件)

■保存地区の保存状況
 若狭湾に面した伊根浦は、日本海側は珍しく南に開けた静かな入り江であり、東、西、北の三方を山に囲まれている。
 伊根浦と日本海の接するほぼ中ほどに、自然の築いた防波堤のように緑濃い青島が浮かんでおり、伊根湾の入り口を二分している。しかも、伊根湾の三方を囲んでいる急傾斜の硬い岩山は、そのまま海に落ちて深い淵をつくっており、波を起こしにくい地勢を形成している。また、伊根湾においては潮の干満差は極めて小さく(年間50cm程度)、静穏度の高い天然の良港といえる。
 およそ350世帯で構成される伊根浦の集落は、延長約5kmにおよぶ伊根湾の海岸沿いに連続して細長く形成されている。
 伊根浦を特徴付けるのは、海岸沿いに連続する舟屋群であるが、明治13年(1880)より昭和25年(1950)までのブリ景気によって、その多くが瓦葺二階建に建て替えられた。また昭和6年(1931)から約10年の歳月を費やして行われた府道伊根港線の拡張工事は、総延長約5kmにわたって幅員4mの道路を主屋と舟屋との間に敷設するものであり、これによってそれまで主屋と近接して建っていた舟屋や土蔵が海側へと移設され、多くの舟屋が二階建に変わっていった。しかしながら、その規模や形態については伝統が維持され続けてきた。
 それ以後は大きな変化も無く、同形態・同規模で連続性のある舟屋群の景観が継承され、現在でも約230棟の舟屋が伊根湾の海岸おいに連続して建ち並び、歴史的風致を形成している。
 舟屋や主屋等からなる江戸末期から昭和初期にかけての伊根浦の町並みは、伊根湾や青島及びこれらを囲む魚付林という周辺環境とあいまって独特の歴史的景観を今日に伝えている。

『丹後路の史跡めぐり』
伊根浦
 わかめ刈る与謝の入海霞みぬと
   海女にぞつげよ伊根の浦風
 鴨長明の歌で名高い伊根は、入口に美しい緑の青島を浮べ、青々とした深い湾内にすき間なく舟屋を配し、若狭湾国定公園中の秀逸である。
 昔は垂仁天皇の皇子五十建速石別命の御料地であり、住民が貢を献上していたということで、江戸時代には湾内で鯨とり、そして伊根ぶりの大漁でわいた所。いまはその華やかさはないが、なお遠洋漁業が盛んで船団を組んで遠く北海道へ出漁する。
 青島には養漁場。漁業民俗館があり、文化五年(一八○八)に建てられた鯨の墓がある。これは伊根湾に入った鯨を捕ったところ、小さな子鯨が死んだ母鯨のそばをいつまでも離れないので、止むを得ず共に捕えたが、漁民があわれに思って供養したものである。伊根湾で鯨取りの記録がでてくるのは明暦二年(一六五六)からである。
 舟屋はこの地方独特のもので、上は住い、下は魚が入ったらいつでも舟が出られるよう傾斜して舟が納めてあり、いま三二○棟ほどある。
 伊根町の誇る船屋台は八月三日の例祭に祭礼船、神楽船を先導に化粧船を従え歌舞伎を催して湾内を巡行する豪華なもので、宝暦十一年(一七六一)より始まったという。
   伊根はよいとこ後は山で 前で鰤とる鯨とる
 用明天皇の皇子麿古親王は、竹野浜から船で伊根浦へ渡ったという話が伝わっており、海上交通は便利であったが陸上交通は不便であったため、明治十六年大島の顕孝寺の住職大鑑和尚が海岸道路をつけてから便利になった。さらにいまは丹後半島一周道路が整備されて観光客が急激にふえている。




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↓伊根湾の地図(道の駅「舟屋の里公園」の案内板)


【参考文献】
『角川日本地名大辞典』
『京都府の地名』(平凡社)
『伊根町誌』各巻
『丹後資料叢書』各巻
その他たくさん


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