丹後の地名は



「伴とし子さんの講演」

坂根正喜氏写真集出版記念事業

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2011.4.16の出版記念行事



 氏の「心のふるさと丹後・第二集」出版を記念して仲間たちが集り祝った。心のふるさと丹後・第二集表紙
ひどくソボクな印象として、
男()はロクなモンがおらんけど、
女性()はベッピンばかりやな

…とか語られた。

本写真集は、意外にも女神たちのお助けあっての出版でありました、氏は産みの苦しみ中ウンウンと唸ってましたが、女神に助けてもろた、イッペンにスッとできた、と完成の秘密を語っていました、それならたぶんそうなのかも…、意外にも、それは事の核心を突いた印象のよう。





−記念講演−

古代に大丹波(丹後)王国があった
宮津・籠神社の国宝系図から探る


     講師  伴 とし子さん



 巻頭を飾る華やぐ珠玉の序文、おかげで写真集もねうち千倍、その伴とし子さんの記念講演。

伴とし子さんの講演(11.4.16)

 まことに申し上げにくいが、全国的な注目を集める貴重な古代遺跡群などに囲まれ興味尽きない丹後に長年住み続けながらも、己が足元の古代史に興味を持つような市民ではなかった。宝の山の中に暮らしながらも、それに気が付かないうかつ者であった。
そんな中で坂根氏はいち早く、ワシらは海から来たんや、ワシはそれを、先祖の目から見た丹後を再現して見たいんやと、ヘリで飛び、海から見た丹後を写していた。

過去を忘れる者は未来も忘れる、そうした深い反省を込めての市民講演会。これを機会に少しくらいは向上進歩していこうではありません。

伴さんはやさしく話されているけれども、しかし聞かれてもだいぶに難しいかも、チンプンカンプンかも…、スーッと理解できて頭に入る人はまれではなかろうか。
2、3冊くらいの本を読んだ程度の生かじりくらいでは返って混乱するかも、丹後古代史は前人未踏の分野であり、学問の道はまた誠に長く嶮しい、そして舞Iとも関わりが深い、すぐこの周辺の誰もが知っている山河がその舞台であった。しかしそれでもここ少なくとも10年20年と勉強していかないと、と考えざるをえない内容があるように思える。
(丹後古代史は公式的には考古学的なもの以外には何もないかも、当サイトを参考に検索して下されば、まあまあ出ているかも知れません。お集まりのような年齢層はパソコンが繰れないよう、せいぜい中学生程度か、誰も最初から出来る者はありません、日々進歩向上を目指して努力して下さい。)

丹後に住み、丹後を愛する者の責務でありますが、この日の講演の全録音があります、下の講演要旨と照らし合わせながら何度も聞いてみて下さい。50分くらいあります。



伴とし子さんの講演(11.4.16)

伴とし子さんの講演(11.4.16)


 講演要旨(伴とし子さんのレジメより)
伴とし子さんの講演(11.4.16)
 〈
「古代に大丹波(丹後)王国があった」
〜宮津・籠神社の国宝系図から探る〜

                          伴 とし子

一、伝説からみた丹後−三つの一番
(1)浦嶋伝説文献学的には日本最古のものが丹後「丹後国風土記」逸文
(2)羽衣伝説文献学的には日本最古のものが丹後
(3)浦島伝説と羽衣伝説、二つあるのは丹後

二、「古事記」「日本書紀」からみた丹後
大縣主ユゴリの娘、竹野姫(開化天皇の妃)
丹波道主命と川上麻須郎女の娘ひばすひめ(垂仁天皇の皇后)と姉妹達(垂仁の妃) 

三、考古学からみた丹後
銅鐸(舞鶴市・匂ケ崎遺跡)陶けん(峰山町・途中ケ丘遺跡や扇谷古墳)・耳とう(峰山町・桃谷古墳)・貨泉(久美浜町・箱石浜遺跡)・初の王墓か(加悦町・日吉ケ丘墳墓)・青龍3年鏡(大田南古墳群5号墳)・国内最古最大の水晶工房跡(奈具同遺跡)・ガラス釧や鉄剣(大風呂古墳)、管玉勾玉でできた弥生の冠(赤坂今井墳丘墓)・三大巨大古墳・蛭子山古墳(与謝野町加悦)・網野銚子山古墳(京丹後市網野町)・神明山古墳(京丹後市丹後町)・金銅装環頭大刀(久美浜町・湯舟坂2号墳)

四、「海部氏勘注系図」に書かれた舞鶴
(1)始祖彦火明命火明命受之、降坐丹波国之凡海息津嶋、…然后、遷坐由良之水門之時…
(2)児天香語山命 故香語山命取其弓矢発之、則其矢到于當国加佐郡矢原山而留、…
(3)三世孫倭宿祢命 彌加宜社、祭神天御蔭命 丹波道主王之祭給所也、
(4)十六世孫 大倉岐命 …葬于加佐郡志楽郷長谷山
(5)十七世孫 丹波国造明国彦命…葬于加佐郡田造郷高野丸子山
(6)弟 凡海連眞磯…凡海連等祖、雄朝津間稚子宿禰天皇御宇、移于当国加佐郡凡海郷、依改賜姓、云凡海連矣
(7)弟 海部直干成…笶原神宮祝部祖也、従養老五年至于天平八年、十五年仕奉
●倭宿祢命の関連の神社
弥加宜社…祭神天御蔭命、丹波道主王之祭給所也。
藤ノ森神社(舞鶴市京田)…倭宿祢命の母イカリヒメを祭る
笠水神社(舞鶴市公文名字宮ノ下)…倭宿祢命の子の笠水彦命祀られる。
六所神社(舞鶴市松尾字千本松)…倭宿祢命の孫にあたる笠津彦命、笠津姫命祀られる。

五、「古事記」の天孫降臨神話から消された丹後の祖神ホアカリノミコト
「爾其太子正勝吾勝勝遠目天忍穂耳命答曰 僕者将降装束之間 子生出。名天邇岐志国邇岐志天津日高日子番能邇邇藝命。此子應降也。此御子者 御合高木神之女 萬幡豊秋津師比売命 生子 天火明命。次日子番能邇邇藝命也。」(アマテラスが息子のオシホミミに「ようやくあしはらなかつくにを和らげたので、先にそこに天降って統治しなさい」というと、)オシホミミが、「私が降ろうと装いを整えて準備できたところで、子供が生まれました。名はニニギノミコトといいます。この子を天降らすのがいいかと思います。この子はヨロズハタトヨアキツシヒメとみあいして生まれた子で、アメノホアカリノミコト、次に、ニニギノミコトなり。

六、国宝『海部氏系図』と『海部氏勘注系図』からわかること
(1)国宝『海部氏系図』とは
・系図に記された人名の一つ一つに「丹後国印」が押印されている。
・系図が書かれた年代が特定できる。
「丹後国与謝郡従四位下籠明神従元于今所斎奉祝部奉仕海部直等之氏」(丹後国与謝郡、従四位下、籠明神はじめより今に斎き奉るところの祝部(はふり)として仕え奉る海部の直等の氏)貞観十三年(八七一年)六月八日から元慶元年(八七七年)十二月十四日までの間
・『海部氏勘注系図』は、重大な「古記」や「秘伝」が記されている。
(2)国宝系図が語る歴史
@丹後からヤマトに入った人物がいた 三世孫倭宿祢命
三世孫倭宿祢命 亦名天御蔭命、亦名天御蔭志楽別命、母伊加里姫命也、神日本磐余彦天皇御宇参赴、而献従祖碑伝来天津瑞神宝、息津鏡・辺津鏡是也、以奉仕矣、彌加宜社、祭神天御蔭命 丹波道主王之崇給所也、此命遷坐於大和国之時、娶白雲別神女豊水富命、生笠水彦命実、笠水訓宇介美都

天照大神→天忍穂耳尊→
                   (海部氏の伝え)
彦火明命→彦火火出見命→建位起命→倭宿禰命(丹波降臨→大和)
                   (『古事記』の伝え)
瓊瓊杵尊→火遠理命→鵜葺不合命→神武(九州降臨)

A天皇の名前をもつ人物がいた 六世孫建田勢命
笠津彦之子 一云、彦火火出見命之御孫玉手見命
母笠津姫命也 大日本根子彦太壇天皇御宇、於丹波国丹波郷、為宰以奉仕、然后移坐于山背国久世郡水主村、故亦云、山背直等祖也、然后更復移坐于大和国、而娶葛木高田姫命、生建諸隅命 一云、天御蔭命 一云 清日子
Bアメノヒボコ系との関わりをしめす人物がいた
建田背命は、「一云 清日子」この「清日子」
C水軍の長がいた
十八世孫 丹波国造タケフルクマノスクネは
・丹波・但馬・若狭の海人三〇〇人を率いた水軍の長であったこと。
・応神天皇の時、若狭木津高向宮で海部の姓を与えられる。
D海部氏系図の中に卑弥呼
海部氏の系譜の中の「九世孫、日女命」と「十一世孫、日女命」

まとめ
○大丹波王国(丹後王国)があり、その王国は、特別の王国であったこと。
○その勢力は、ヤマトに入り初期ヤマト政権の基礎を創ったと考えられること。  〉 







 それからそれから…

 祝い合う集い

「心のふるさと丹後…第二・五集」
第三集が発行されるまでは、これは2.5集…、

女神たちに捧ぐ・ふるさとに捧ぐ


↓当刊行にお助けあられた女神たちに捧ぐ出版であり、この集会でもあり、主賓席もずら〜りとベッピンばかり。おかげで丹後の美しい財産がまたひとつ加わりました。そんなことで50名ばかりの出席があったそうですが、ワタクチは美女しかゼッタイに写さないこととしました。
坂根正喜氏写真集出版記念集会
↑主催者あいさつ
坂根正喜氏写真集出版記念集会
↑出版元「あまのはしだて出版」福井社長のごあいさつ吉備か美作か、正確に聞かなかったが、縁あって丹後へ嫁がれた。社は謄写版機一台からはじまった、世界最悪原発事故レベル7を引き起こすまでに成りはててしまった電力公害反対の丹後草分けとか。
(この会場は高浜原発から20キロ圏内にある。最も近い4号機ではプルトニウムを燃やす予定となっている。電力会社・経済界や政府学者メディア等クソども大本営のレベル10はいうまでもなく、国民の大部分もまた安ければいい、勝手にデッチあげた想定の外ならば放射能を全地球へ垂れ流してもいい、のレベル7の共犯者・イチバンの安全無視民であることを白日の元にさらけた、いよいよ己が決定的足らざるを深く深く世界に羞じねばなるまい、そんなことでは共に地球上に生きていく資格がない、バカどもが何を勘違いしたか思い上がって、自然の力を舐めている、今後の対策はそれからだろう、現在の地震想定の2倍以上、津波は15メートル超に耐えられるものに、どうしても原発がいるのならば、若狭には2基ばかりを残してあとはすべて大消費地へ移してそこに作れ、大阪・神戸・京都などに原発をX基ばかり新規に作れ、そちらでやってくれ、いつ爆発するかわからないものをよそに押しつけ、「イナカは大変ですね、こちらは快適な暮らししているのよ」などはとんでもない話である、それを必要としている大都会にこそに作るのが当然だろう、精神的にも物理的にもそう立て直すべきではなかろうか、バカどもがいつ爆発させるか知れたものではない、爆発させてからでは遅い、すぐにやってくれ、原発を大都市に移せ、「復興」させたところでまたも爆発させるだけにならぬように西日本ではすぐにこうしたことに手をつけよう。美女たちを前に言うことでもなかろうが…)。

坂根正喜氏写真集出版記念集会
↑先の伴とし子さんのごあいさつ。舞Iこそ私の第二のふるさと、いや第三か、そんなご様子でした。
坂根正喜氏写真集出版記念集会
↑まずは、カンパーイ!!
坂根正喜氏写真集出版記念集会
↑名シェフがウデをふるったせっかくのゴッツォ、さっそくいただきましょ。

↓みなさんのお祝いのことば、たくさんありましたが、ここでは大幅省略、代表だけ


坂根正喜氏写真集出版記念集会
↑引揚記念館語部や立命館国際平和ミュージアムボランティアなど、最近は「舞I発 ふるさとのまちは今」の著者・広橋さんのことば。京都市内にお住まいですが、舞Iはふるさと私のような女をだますくらい簡単なことはないですよ、などとおっしゃる元中学校先生。
(賢くて自信一杯な現代人の代表かも。周囲の誰も信じないが自分だけは信じている、明日死ぬかもも知らぬ根無草の身でありながらである、だからすぐにだまされるマンガ的存在。原発安全、放射能安全などとアホを信じる、人間のオツムはそこまでは進歩していないのでないの。何も広橋さんばかりではないかも…)



              

坂根正喜氏写真集出版記念集会
↑カナさんが歌を贈ってくれました。
ご一緒にどうぞ




 〈 故郷(ふるさと) 高野辰之作詞・岡野貞一作曲

l.兎追いしかの山
  小鮒(こぶな)釣りしかの川
  夢は今もめぐりて
  忘れがたき故郷

2.如何(いか)にいます父母(ちちはは)
  つつがなしや友垣(ともがき)
  雨に風につけても
  思い出づる故郷

3.こころざしをはたして
  いつの日にか帰らん
  山はあおきふるさと
  水は清きふるさと  〉 



↓花束贈呈
坂根正喜氏写真集出版記念集会

坂根正喜氏写真集出版記念集会
↑カナちゃんに花束もろた。ハズカシ、ウレシ、カンゲキ

↓坂根氏のお礼の言葉「こんな立派な会になろうとは思ってもいませんでした。皆様のおかげです。第三集がんばります。ありがとうございました。」
坂根正喜氏写真集出版記念集会
これで閉会。一応は…





     

「貴重な長い道を」ごくろうさまでした、思い起こせば「こんな過去の日々」も。
熱かった懐かしい「花の季節」の時代、舎弟からはこのナツメロを


ДОРОГОЙ ДЛИННОЮ
   Those Were The Days
        Le temps des fleurs


元はロシア民謡、イギリスに渡っても、
どちらも何とも訳しにくい、言葉が省略されていそうである、その文化圏に住んでないと、その省略句がピンと浮かんでこない。
グローバル・ソングになっているが、日本では
「長い道」「悲しき天使」等で知られる


私が居酒屋の前に立つと
何もかも昔とは変っていた
ガラス窓の中に私は不思議な姿を見たわ
あの寂しげな女が本当に私だったの?

懐かしい、ああ、あの頃

ドア越しに聞き慣れた笑い声が聞こえてきたわ
あなたの顔が覗き、私の名前を呼んでいた
お互い老けたけど中身は変らないわね
私たちの心の中の夢は今も変らないわね






               

 それから
まだまだ飲み足らぬぞ…、いやいや祝い足らぬぞ…
赤いネオンの街へ出よう…
坂根正喜氏写真集出版記念集会
↑花見。
坂根正喜氏写真集出版記念集会
↑自粛自粛。カナさんのお店。
坂根正喜氏写真集出版記念集会
↑もう、タコばっか、飲み直し。(いやいやウソウソそんなことは言ってません。花よりもここがエエ)。
山賊海賊どもは、たぶん×××で呑んたくれてますよ。あとでワタシ様子見に行ってみます(ウソそんなことは言ってません)。

              



おそるおそる様子を見にいけば、丹後大海賊大山賊等等超盛大的祝賀歓喜酒盛最中様子、言葉にならず。
坂根正喜氏写真集出版記念集会

坂根正喜氏写真集出版記念集会

坂根正喜氏写真集出版記念集会
誉れある古代丹後人達子孫現今様子。このあとがまだあったそうですが、そこまではワタシは知らない…。
丹後の奥に住めば、こうした場所も機会もほとんどないそう、人がたくさんいれば嬉しく、底抜けに子供のようにハシャグことなど数万年に一度くらいのことだそう、久しぶりの同級会のようなもの、昔なじみの懐かしい友といれば若い日の夢や希望がありありと心一杯に甦ってくる、心が力強く甘く苦しく若返ってくる、こうしたことで自殺を思いとどまったとかの人もあったという…

 





関連情報

「心のふるさと丹後U」発刊
蛇ヶ池探訪



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