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肱谷(ひじたに)
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肱谷の概要《肱谷の概要》 大野ダム堰堤より約4㎞上流あたり、府道12号からだと「肱谷橋」を渡ってダム湖を越えて渡ったところ。府道50号(日吉美山線)が走り、ずっと行けば郡境の鏡峠を経て日吉町へ通じるというが、行けるのかどうかはわからない。 古代は「和名抄」に記す弓削郷に属し、中世は野々村庄の地。 肱谷村は、江戸期~明治22年の村。大野10ヵ村の1。篠山藩領。明治4年篠山県、豊岡県を経て京都府桑田郡、同12年北桑田郡に所属。同22年大野村の大字となる。 肱谷は、明治22年~現在の大字名。はじめ大野村、昭和30年からは美山町の大字、平成18年からは南丹市の大字。 《肱谷の人口・世帯数》 58・21 《肱谷の主な社寺など》 ![]() ![]() 八幡神社、右手は山の神。 『北桑田郡誌』に、「八幡神社 肱谷にあり、応神天皇をまつる。後西院天皇の寛文十二年に創建せられたりといふ。」とある。 ![]() 《交通》 《産業》 《姓氏・人物》 肱谷の主な歴史記録肱谷の伝説![]() 肱谷の小字一覧肱谷(ヒジタニ) 下野(シモノ) 西谷(ニシタニ) ヲク谷(ヲくタニ) 東谷(ヒガシタニ) 下谷(シモタニ) 上野(ウエノ) 味噌淵(ミソブチ) 穴ケ谷(アナガタニ) 関連情報![]() |
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【参考文献】 『角川日本地名大辞典』 『京都府の地名』(平凡社) 『北桑田郡誌』 『美山町誌』各巻 その他たくさん |
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