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坂野(さかの)
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坂野の概要《坂野の概要》 高竜寺ヶ岳(696・7メートル)南東麓の谷間に開かれる。中山集落の北にあり、太田市場村で出石・宮津道(丹後道)から分れ、西野々村・高竜寺村を経て当地から虫生村へ抜け、同所で再び出石・宮津道に合流する脇道が通る。この道がかつての丹後道であったという。 当地岡田家には文化11年(1814)に伊能忠敬の測量隊一行が出石郡を測量した折の測量御役人様御通行御用諸事日記控はじめ、同12年に第五五代遊行上人一空か通行した時の遊行様御通行控、文政5年(1822)に西本願寺本如光摂が湯島温泉(城崎町)に入湯した折の西本願寺様御入湯手控帳、天保9年(1838)幕府巡見使が訪れた折の御巡見様案内之帳(巡見案内帳)・御巡見様御案内始末書之帳などの文書が残る。北は峠を越えて京都府京丹後市久美浜町、農業と絹織物が中心。 坂野村は、江戸期~明治22年の村。但馬国出石郡のうち。山名氏政滅亡後天正13年まで青木勘兵衛、同年から前野長康が領した。文禄4年からは出石藩領。明治22年資母村の大字となる。 坂野は、明治22年~現在の大字。はじめ資母村、昭和31年からは但東町の大字。平成17年より豊岡市の大字となる。 《坂野の人口・世帯数》 85・33 《坂野の主な社寺など》 ![]() ![]() 中山の如布神社の本宮という。如布本宮神社ということであろう。 南面させたためか、社殿正面が狭い、カメラの引き代がない、もう少し引きたいが、そうすると、川へ転落する。広角いっぱいギリギリの命がけの写真である。 集落の中心のようなところにあり、元々からこの地に鎮座していたようには思えないが、何にも史料がない。右横に石がいっぱい積んであるが、あるいは古墳でもあったか? ![]() 国道482号線沿いにある。 ![]() 名水『福寿の水』
坂野の谷は、古くから清澄な水が豊富に湧きでています。 この湧き水は、高龍寺ヶ岳からの伏流水で、地元に残る言い伝えによると、ここに来られた『役行者』が喉の渇きを覚えて、自ら地面を掘られたところ、清らかな水がこんこんと湧き出してきたといわれています。味は極めてまろやかで何度口にしても甘味とまろやかさは変わらないといわれています。いつの時代か、誰がいうとはなしに、この谷から出る水を一杯飲むと、幸福で長命になることから、『長寿の水』といわれ、地元では『福寿の水』と名付けて長く飲み続けております。この湧き水は、四季を通して水温が変わらず、飲料水水質検査にも適合しており、きれいなおいしい水として水道水源にも利用されて、地元の人々の生活と密接に結びついております。 水の成分 ミネラル成分を多く含んだまろやかなアルカリ性 水 温 摂氏十五度 PH値 七・四pH 硬 度 三〇㎎ 坂野区・坂野ふるさと委員会 《交通》 ![]() ![]() 丹後熊野郡へ抜ける尉ケ畑峠に「たんたんトンネル」が開通(平成8・1996)、国道482号となり、交通が便利になった。 《産業》 ![]() ![]() 《姓氏・人物》 坂野の主な歴史記録坂野の伝説![]() 坂野の小字一覧関連情報 |
![]() ![]() 資料編の索引
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【参考文献】 『角川日本地名大辞典』 『兵庫県の地名Ⅰ』(平凡社) 『但東町誌』 その他たくさん |
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