↑高浜原発。右手が1・2号機。左奥の円いドームは3・4号機で、これらはプルトニウムを燃やす。![]()
![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 原発は事故があり得ます、実際にもありました、そうした正確なリスクが知らされないどころか懸命に隠して知らん顔、さらにこの事故でも情報を隠し、遅らせたりもしていた、レベル7を隠し、メルトダウンを隠し、SPEEDIを隠し遅らせ、もっとも線量が高かった時期には黙っていて、多くの人々には知らされず被曝させてしまった。そして一方では原発安全天国の政治宣伝ばかりを強調する。こうした世の流れ、国のミスリードに無批判に身を寄せ、赤信号みんなで渡れば…式の人、ましてや荷担した者すべてに大きな責任が問われよう。 ![]() ![]() いやワシは殺しとらん、ワシは殺しに荷担しとらん、ワシは殺しに反対した、そう言える天国人はそうは多くはないはず、たぶんゼロに近いであろう。ゼロに近い者がいて警告を発していたかも知れないが、その声をまったく無視した。国のとんでもない甘い過小評価想定とミスリードとはいえ、それでキミたちの責任が消えるわけではなかろう。 別に責めようというのではなく、うるさい事を言うのは、二度と繰り返さないために言うので、きびしく自己点検をして過去の甘い箇所を完全に乗り越えていかなければ、またいつか同じことを繰り返すからである。 「天国の門」は日本の原子力開発推進を象徴する、政治的思惑と儲け話ばかりが優先されていて、原子力科学と技術基盤の着実な進歩も、周辺住民の安全対策もなされない。たいしたこともない日本の政治と経済だけが突出してその足もと対策はきわめて脆弱なままにほったらかし。悪意あるものとして「日本の核開発」と呼ぶ方がふさわしいかも。 核だけではないが、そうした日本社会の構造問題も見えている、強い者について弱きを顧みないという日本人の情けなき見にくき姿も見える。 ![]() 本来はそれを厳しくチェックするべき立場にある公務員や議員など全員もウラで荷担していることなどは決して許されるものではない。この門はこのまま保存して世界遺産にしてもらうとよいだろう。 ![]() ザマーみんかえ、とこうした場合は舞鶴あたりでは言うが、プルトニウムならなおさらのこと、福島のような事故は高浜ではあり得ないであろうか、問題は「たかが電気くらい」のことである、よく検討してみよう。 ![]() ![]() エネルギーは電気に変換せずにそのままの形で使うのがはるかに効率的である、たとえば灯油をそのまま燃やした方が、灯油を一度電気に変えてエアコンなどで使うより賢い方法である。灯油が電気に変わる効率は50%ほど、電気はもとで半分もムダにエネルギーが捨てられてしまい環境に負担が増える贅沢すぎる使い方になる。 電気大好きという方もおられようが、煮炊も風呂の湯も何でもかでも電化して電気をたくさん使えば何か現代風豊かな最先端生活のように思うのは現代人の錯覚である。 ![]() ![]() ![]()
![]() ![]() そういうことなら誰にでもできる、高給などは必要がない、幼児でもできる。 どんな事業も儲かる時ばかりではない、放漫経営でも儲けられたのはそうした制度で保証されてきただけのこと。そうして大儲の時は知らん顔、ちょっと損したらヒステリー、勝手で甘ったれの子供のようなバカものが、家庭に向けてどの顔してプルトニウムを稼働させるとか、いやなら電気料金引き上げるなどと言えるのだ。 これまでのようにはもう行かない、これまでが甘すぎただけのこと、もう通用はしない、これまでのようなことをやってれば当面は大赤字だと覚悟しろ、ピーピー言ってるヒマがあるならなみの企業と同じように苦労しろ。原料が上がったからといっても簡単には価格に転化はできない。 クソほども儲けてきた財閥銀行にまず債務整理をしてもらえ、それで銀行からの借金も利息もゼロ、社員賃金は原発下請労働者なみに、みなそれでやっているのだ、配当は今後10万年間なし、そのカネで使用済燃料の管理費に当てるでよかろう。だいぶにヤシしまくって大儲けしたのだから、その分はいまの機会にはき出していただこう。 ![]() たかが発電屋原発屋ごときが神にでもなったつもりか、それなら事故をなくしてみろ、放射能が出さないようにしてみろ、使用済みを解決してみろ、あれだけの大事故をおこして起きながら、呆けたかとしか言いようもないが、人の命を何と心得てきたか、人を何と心得てきたか、関電の経営哲学はそもそもの根本が発狂していて、そのままの大間違いのゼニ万能思想をいまだに続けているままである。ゼニに心底支配された者どもが、同じようにひとまでゼニで支配できるかのこどく思い上がっている、笑えるというものだ、大負債をかかえるがよかろう。 何者かである以前にわれらは人間である、まず人であるのだという、当然の前提を忘れると、人以下のこうしたクソとしか呼びようもない情けない天国人になってしまうのである。 ![]() 将来にわたって人間がバカほどもエネルギー消費を増やし続けていくことなどはできない話である。 どの道を行くにしてもエネルギーは多少の値上げは避けられない、エネルギー消費を抑えていかねばらない、と見なければならない、それを前提に今後のエネルギーや経済戦略は立てていかなければなるまい。 プルトニウムは「人間が作り出した最悪の毒物」といわれる超猛毒、α崩壊し半減期は2・4万年、人間が作った物にしては特別に長い永遠と言っていいほどの生命があり、人間が作った別の物でプルトニウムを安全に保管し続けることができない、あとの処理法もないままにプルトニウムを生成させたり、まして増殖させていいものなのか、しかもこれが8sあれば原爆が作れるといい、プルトニウムを所有することは原爆を所有するのと同じと国際的には受け止められる。 ![]() 日本流に日本独自の判断や技術でたいしたテストもせずに高燃焼させることは、原子力船「むつ」や「もんじゅ」や「六ヶ所」や「福島」レベル7事故を引き合いに出すまでもなく、どうみてもヤバい、口先は超一流だが、実力と品性は対岸の国に笑われるくらいか、幸か不幸か原子力技術は日本はたいしたものではない、原子力は核兵器と結びつくもので、低くても何も残念がることもない、しかしその国内技術だけで「ガラパゴス化」して「神国日本」「鬼畜米英」「戦艦大和」「B29はタケヤリで落とせる」の狂信的自信過剰はヤバすぎる。 何もプルサーマルばかりではないが、TPPを言うのならばなおさら閉じた日本社会を開いて、守りの姿勢を捨てて原子力を考えたいものである。それもできない者どもが国際化などいえば誰でも真意を疑うことになる。 ![]() ![]() それはどうかわからないが水素爆発と見ても危険さは際立っている。 定期点検で停止中の隣の4号機とはパイプでつながっていて、3号機は自分だけでなく、4号機まで吹き飛ばしているし、4号機爆発の威力は1号機以上である(1号機の出力は46万kw、2・3・4は78.4万kw)。プルトニウム原発はウラン原発の2倍以上の爆発を覚悟しなければならない、プルサーマル安全がこなごなに砕け散った事故である。 ![]() またプール冷却水を送るパイプ類の破損状態の点検もままならぬ状況だという、バックアップがいるだろう。さすがに天国でも超危険さを認識したのか燃料取り出し作業を計画前倒して実施する。すでに一部は試験取り出しに成功したという、取り出されたものは危険性の低いたぶん未使用のウラン燃料であったであろう。危険な物は全部残っている、プールにはたくさんのガレキが落ち込んでいて取り出しを妨げる、燃料棒を傷つけることないよう慎重に人が丁寧に目視確認しながら手作業で取り出さねばならない、新たなガントリークレンを付け城にして1日1体不休で取り出せても1500体も取り出すには4年以上がかかる。1体失敗してももう終わりである、すごい緊張の作業が続くことになる。そして取り出してもそれをどこへ持って行くのか。さらに1〜3機のプールが残っている。再処理などと甲斐性に過ぎたアホなプランを持ったがために、大量の危険な使用済燃料棒がこうして各地の原発内に蓄えられてきた。どうかすべてが取り出せるまでは地震が来ることなきよう、そう神に祈ることしか「すぐれた技術を誇る」天国人には方法がない。 ![]() ![]() プルサーマルは事故が起きやすくなり、いったん起きれば規模が拡大しやすくなる。制御がききにくくなり、燃え方にムラができて、よく燃えた燃料棒が過熱・破損しやすくなり、制御がむつかしくなるといわれる。 ウラン原子炉であってもプルトニウムは燃えている、出る熱の1/3〜1/4はプルトニウが燃えたものという。それなら同じでないかの論議もあるが、それは違う話である。 ![]() ![]() ![]() もしや高速増殖炉が稼働すれば、それがプルトニウムを多少は増殖し、それをまた燃やして、ウランの節約になるというハナシであって、ここでその燃料のプルトニウムを燃やせば、その大事な燃料プルトニウムがなくなるではないか、使用済みMOXを再処理する計画もないのだから、別に特に取り立てて理由にするほど有効利用とは言えない。プルサーマルを仮に何万機と稼働させても、数十倍伸びるなどはあり得ない。 使用済みウラン燃料から得られる燃えるプルトニウムの量は、最初に燃えたウランの10%ばかりといわれる。ウランの年限が十倍も伸びるというのは高速増殖炉がうまく行けばユメではないかも知れない、たぶんムリなハナシであって、プルサーマルは死の灰の中から、元の燃料のわずか1割ほどのプルトニウム資源を回収して有効利用できるだけで、残り9割は捨てられる(原子力委員会はそういうが、それすらも怪しいといわれる。ウランも回収されるが、その利用は考えられておらず、もとの使用済み燃料全体からいえば、回収され有効利用できるプルトニウムは1〜2%程度で、残りは捨てるより手はない)。エネルギーを無から生み出すことは物理学上あり得ない話である。せいぜいムダに捨てるものの有効活用だけである。 わずかなもののために超危険な再処理して、超危険なMOX燃料に加工して、超危険なプルサーマル運転をして、放射性物質を放出させ、燃やせば燃やしただけ死の灰も増えるし、その超危険なMOX使用済み処理などを差し引いていけば、何もさして資源の節約とはならない、何も危険を冒してまでぜひとも取り組まねばならないような効果はなく、もし途中どこかで事故でもあれば大赤字である。私などとは違って、国際的に権威ある、どこだったかも言っていたが、プルサーマルに経済的なメリットはない。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 放射能大好き、原発大好きの方も真剣に考えてもらわねばならない。タバコは有害だから好きな人が誰にも迷惑のかけない場所で吸うのがキマリで公共の場所では吸わない。原発だって同じである、好きな人が誰にも迷惑はかけない場所で稼働させればいい、電気の「恩恵」にあずかれない、少ししかあずかれない人の迷惑には決してなってはならない、それだけの覚悟をもって稼働させてもらいたい。できないのなら停止する以外には方法がない。そうした当然の覚悟がない者、タバコとの因果関係が証明できないなどという者、そうした者は最初から原発などはエエカッコして持つ資格がない。公共の場で共生していける者ではないということである。たった30年ばかり動かしただけでも、これほど大量の死の灰を発生させ、その処理法がない、原発が仮に「絶対安全」「絶対無事故」「絶対安価」であったとしても(そうしたことはあり得ないが)、稼働させることはできない。核兵器はもとより「平和利用」で無事故であったとしても、核は人類と共存ができない。 ![]() とりあえず地下に埋めておこうくらいしかないようだが、10万年間も安全な地下は天国にはない。今は各地原発敷地や六ヶ所に今後どうするの見通しもないままにおかれているのだが、1千兆円の借金といい、これといい、今さえよければいい後は野となれ山となれ人類史に残る後先も考えないクソどもがしでかした大罪でなかろろうか、天国人よ無責任が過ぎるのではないか。 ![]() ![]() 通常運転で六ヶ所再処理工場は「原発が1年で放出する放射能を1日で放出する」と言われている。死の灰は人の力では減らすことはできない、減らせられるのは時間だけである、放射線を放出しながらより安定した物質へと崩壊していく、その核種の持つ厳密に定まった時間だけである。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() そもそも原子炉と再処理は原爆の材料になるプルトニウムを取り出すために開発された軍事核技術で、インドなどの例にあるように、普通の原発からでも原爆は作れる。対岸の国の原発に注意集中させているではないか、こうした国々が原発を作れば核開発と呼び、自分が作れば原子力開発と呼んで何か違うものかのように言っているが、同じものである。日本の原発からもその気さえあればいつでも原爆が作れるのはどこかの国と同じである、原発と原爆の境目は紙一重のものである。原発やプルトニウムを取り出す再処理そのものが核兵器禁止にも世界平和にも反するものにすぐにもなり得る。人工衛星と長距離弾道ミサイルが区別できないようなもので、原発推進はすなわち原爆推進、核戦争推進ということでもある。はっきり言えば原発がある限りは、どこかの国が密かに核兵器を製造して保有する、という恐れからは逃れられない。人類滅亡の核戦争の引き金を引く元凶は、原発をおいてはないという物騒な危険物である。核兵器開発を防ぎ核戦争を防ぐには原発を廃止するのが一番よかろう(ウラン濃縮すれば原発がなくても原爆は作れるがウラン鉱がないとできない)。電気のバカ使いをやめていけばいずれそれはできることだろう。核廃絶もユメではなくなろう。それとも従来どおりに原発を稼働させ続けてその危険と他国の核弾頭攻撃の危険におびえるつづけるか、結局は21世紀を生きるひとりひとりの判断にかかっている。 日本には再処理で分離されたプルトニウムは45トンもあり、8sで割れば、5万発以上分にもなる。あくまでも高速増殖炉を稼働させるというタテマエでプルトニウムを持ってきたわけだが、それができない以上は再処理もやめるべきものである。信頼薄い天国がいくら人工衛星だといっていてもそれは通らない、「”余分プルトニウム”と称している事実上の原爆」と見られる、今あるプルトニウムは使わずに「死の灰」として処理するのがよかろう。 少々昔の話になるが、ロシアが核解体で核兵器から取り出されるプルトニウム量が90トンとか120トンとかあるそうで、どうしたものかが問題となっていた、日本に売るとかいった話もあったとか、兵器用ウランは薄めて原発用に使えるが、プルトニウムはそれが難しいしそもそもプルトニウムを燃やせる炉がない、日本に売ったら兵器にされるとも考えられ、どうするかは決まってはいない、中間貯蔵施設に置かれているというが、莫大な量を今後10万年もどうするのであろうか。ものすごい建設コストと管理コストがかかってくる。ちゃんとやれば、OECD試算によれば、プルトニウム1グラムにつき年間1〜2ドルの管理費がかかるそうである。日本の場合なら、手持ちの余分プルトニウムを安全に管理するだけでも。45トン×1000s×1000グラム×1〜2ドル×85円×10万年=総額は天文学的金額 という計算となり、年間38〜76億円が今後少なくとも10万年のしかかってくることになる。アメリカはプルトニウムを民生用に使うことにはヤバすぎて割に合わないと反対である。余分なプルトニウムを持つことを日本の既得権として黙認しているようなことで、これは他国からすれば不平等な話である、なぜ日本だけなのだ、日本が持てるなら我国も持っても問題があるはずがない、と考える国が出てきてもおかしくはないし、自分は処分に困るほども持っていて、どこかの国が少し持てば違反だ問題だなどと身勝手なことは、普通は言いにくい。どうしてもそう言いたいのならば、まずは自分の持っているプルトニウムを処分してからではなければ何の説得力もなかろう。 ![]() 原子炉の中で燃えないウラン238に中性子が当たると一部は燃えるプルトニウム239になる。これを取り出してまた使おう、うまくやれば、使ったウランよりもプルトニウムは増加させれるのではないか、使えば使うほどエネルギーがさらに増えるてトクになるはず。 燃えつきたはずの死の灰の中からまた新たなエネルギーが生まれてくるのうまい計画、神話か恋愛論か、そうしたたぐいならば結構かも知れないが、このハナシに夢中になってしまい、いまだその夢を見続けているのが日本の官僚である。意外と幼稚でかわいい夢多き頭脳のよう、だがうまいハナシには気をつけろ! こうした者どもの見果てぬ危険なヘボイ、マンガ的ユメにつきあわされてはたまったものではない。 ![]() ![]() 何かすればこんな信じられないような重大事故が続いて、おそまつ過ぎの自分の実力すら正確に客観的に正視できないが、うまくいくなどとは推進側すらユメ考えてもいず実用化の目途はまったく立たない。もし少しでも立つならばプルトニウム原発は必要がない。 ![]() ![]() 天国に誇りを持てなどという者もあるが、自分だけ勝手に誇っていてもだめで、皆から尊敬されるだけの、友情を寄せてくれるだけの中味がなければ意味もないことなのである、誇りとはそうしたものである。 分離プルトニウムはなくすと不本意にも約束してきたが、かといって「もんじゅ」稼働の見込みもたたず、なくす方法がない、そこで天国は考えた! そう言えばカッコいいが、本当は御用学者ども総動員で悪知恵を働かせもっともらしくリクツをあとからとってつけた、仕方ないプルサーマルで燃やそう、というのが事の真相である。 ![]() ![]()
![]() ![]() フツーの線量計はα線やβ線は計れず、γ線を計っているだけのものである。αやβは計れないし、外にあるのなら人体には影響はないものであるとして、外部被曝量というのはγ線線量だけで、それも屋外にいるのは一日の3分の1だけとして計算される。 ![]() ![]() 府もそれに同調したのか、同調したのなら同調したとはっきりと書いておくべきだろう。府民の多くはそうした知識もなく府を信頼しているのだから、このパンフでは内部被曝や低線量被曝には事情あって詳しくは触れていませんとか、注意書きくらいはしておいてもらいたい。 外部被曝も内部被曝もしっかりわけて考えていず、内部被曝の超危険性を隠すことになり、本当は即書き改められるがよかろう。原発近くの自治体である以上は当然にも被曝にはきびしい態度であってもらいたい。 ![]() ![]() ![]() プルトニウムも同じα崩壊で、その許容量はICRP勧告でも、0.6マイクログラム、酸化プルトニウムにすれば、直径50ミクロンの粒子1個分だけ、これは職業でプルトニウムを扱う人の「許容量」だが、こうした許容量などはいいかげんなものであるが、それですら、こんな目にも見えない少量とされる。一般人なら、直径1ミクロン(1マイクロメートル・千分の1ミリ)の粒子1個程度だろうとされる。これがα崩壊する放射性物質の他にはない超危険性であり、プルトニウムは人類には実際は新物質であってその危険性は正確にすべてわかっているわけではない。 ![]() ![]() ![]() 原発を持つということは、すなわちプルトニウムを持つならば、本当にバラ色豊かな天国社会となるかどうか。こうしたうんざり憂鬱の警察軍事国家社会に変質せざるをえなくなることを実例が教える。地下マーケットでは、麻薬の5倍程度の値段でプルトニウムは買えるという。いかに管理を強めても完璧はムリで密か流れ出てこうした地下組織の資金源の一つにもなっているのだそうである。 大きな質量大きなエネルギーのあるものが、超近距離しか飛ばないのだから、破壊はそうした狭い範囲内だけで集中的徹底的に行われることになる。そしていったん体内に入ってしまうと体外へ排出されにくいという化学的性質もある。プルトニウムは骨になってしまうと50年でようやく半分が排出される(生物学的半減期)、ストロンチウムもそれくらい、人為的に取り除いたりすることは不可能で、一度体内に入ればもう終わりである。ヨウ素やセシウムで100日くらいという。 ![]() ![]() 人間にとっては60年もの長い間だが、プルトニウムにすれば一瞬の時間にすぎない。今後2.4万年して半分となり、さらに2.4万年して4分の1になり、1000分の1となってほぼ消えるのは100万年後である。そのころ人がいるか知らない、かなり愚かがすぎることもあるので、いるとは私は予想を立てにくいが、このサンプルを調べる何者かがいれば、まだわずかにα軌跡が観測されるだろう。 ![]() ![]() α線1本は人体内で0.04o飛ぶだけ、細胞数個分だけであるが、その間に10万回の分子切断を行って、エネルギーをすべて失って止まる。たった1本でそれだけのダメージが発生する。 ![]() ![]() ![]() 薬と毒は紙一重、薬の服用には制限がある、これを守らないと毒になる。危険と安全も紙一重、安全だといわれても、そのまま100%安全と信じるのは危険すぎる。安全にも何%かの危険が含まれている、安全がいつくも重なると、その中の危険も積み重なり、全体としては危険なものになっていく。仮に0.01%の危険であってもそれが1万回積み重なれば100%危険なものとなる。安全にも服用制限が設けられるべきだと思われる。超複雑超複合システムの原発は一つ一つのパーツの安全が何千何万とも積み重なったものである、こうなるともはや安全はないのである。仮に一つ一つの部分が安全であったとしても、部分だけでは原発は稼働しない、部分がより集まって原発全体としてこそ稼働するものであり、長期間のいかなる事態に対してもその全体の安全を完全に保証することなどは科学的にはもはや無理な話になってくる。交通事故をゼロとできないのと同じ理屈がなりたつ。道路が悪いと事故が起こり、道路をよくすればそれはそれで事故がおこる。われらは神ではない、人間がすることはこんなことである。 明日どんな地震がありどんな津波が来かの予測もできない者が、商売上の都合から「大きなものはない」の前提で作られた原発を安全などという者は低開発国か三流属国政府か烏賊様師かその類が資本が安全ですという意味で使っていることしかありえないである。 ![]() ![]() 被曝直後にDNAが切断されて異常が出るということだけではなく、直後どころか50年も異常が見られず正常であったものが、60年も経てからDNA異常が信じられないほども多量に突如として出てくるということもある。人間一人からみれば死ぬまでずっと「原発」を抱えていて、それは時限爆弾のように、いつどこで発症するかはわからない、何回発症するかもわからないもののようである。60数年昔の原爆についてすらその被爆被害の全貌をわれらは正確にはいまだ知らないのである。 ![]() 1歳以下の幼児は大人に比べ、がんのリスクが3〜4倍高くなり、女児は男児よりも2倍影響を受けやすいといわれ、胎児は特に危険といわれる。これから子をつくろうという男女、特に女性は「許容範囲内は安全」などを信用せずに被曝はどうか避けて下さい。 ![]() 子供に対する国家犯罪だとの世論に押されてしぶしぶに1ミリシーベルトに改めた。しかしその1ミリシーベルトは学校にいる時だけの話で、通学時や家庭などにいる時の被曝は含めない、給食などによる内部被曝は含めない、という実際はありえない想定をしたもの。 もし1ミリシーベルトとすれば莫大な除染や学童疎開費用が発生するからであるが、以前からそうであったが、政府、文部官僚も与党政治屋もいよいよ本格的に狂ったと思われる、そうでもなければアリエナイ数値である、泣いて抗議し何とか内閣参与が辞任した「学問的にみならずヒューマニティからも受け入れがたい」と、こんなものが通れば学問も学者も政府も国も何も必要はない、無茶苦茶の無法地帯だ。何を言い出すやらわかったものでない、日本の教育を担っていく資格の真底が問われる、オマエどもの教育がまず必要である、何でそれだけ通産官僚ごときや電気屋ごときものの肩をもつのか。せめて一人前の大人のつもりならもうちいと大人としての重い責任を自覚しろや。大人の責任は次の世代を育てることではなかったか。 ![]() ![]() 私が10歳の頃が最も盛んに実験が行われ、小学生だった私どもなどは「黒い雨」が降るから、それに当たらないように登下校するようにと学校からいわれ、その訓練もさせられたりもした記憶があるが、その年あたりたりに生まれた人が問題になったという、当時の母親たちも今ほどの知識もなかったと思う。 これはアメリカでの調査データーの話だが、ヨウ素が一番疑われていて、甲状腺に蓄積されて脳発達を阻害するのではという、属国ではそうした調査がないようだが、愚妻はそのころの生まれであるのだが…、何度かのどにポリープが出来て声が出にくい、歌が歌いにくいと、言っていたこともある… 何が起きるかはわからない、あるいは日本でも福島とピタッと一致することになるのかも、文科省さん。 ![]() ![]() 自然放射能でも障害はあるが、そのマイナスとバランスを保ちながら生物は長い歴史を全体として生存してきたのであろう。このマイナスが人為的に大きく増加すれば自然界のビミョーなバランスは一気に崩れかねない。 ![]() ![]() これがDNAの誤情報となりガン細胞となる。あるいは誤情報が将来世代に遺伝したりする。体内の放射能はどんな所へも運び込まれていくので、ガンだけでなく、あらゆるところであらゆる病気をひきおこす危険性があるが、しかし発病までには長い時間差ができて、因果関係を立証するのは難しくなる。何が起きるかはよくはわかってはいない。ずっと先の世代にならないと目にみえるような障害となって現れないという。自分や子や孫が大丈夫といって放射能は安心じゃとはいえない、障害はもっともっと先の世代になってから突如として現れるかも知れない。 ![]() ![]() もうすでに子供の甲状腺癌が異常に高くなっているといわれるが、因果関係不明ということで見逃されているという。広島の100倍以上の健康被害、死亡も含めて将来当然にも出てくるという重い重い荷を天国は負ってしまったのである。 何の知識もなかったり極力隠されたりした広島時代よりは知識は高く、避難などや医療なども、その当時よりは進んだので100倍ということはないかも知れないが、その代わりに長期にわたる避難生活などによる健康被害などが出る、被曝として計測化できないかも知れないが家族バラパラなどの苦痛が長引く、また25年前のチェルノブイリ事故のソビエト政府の対応と比べてどうかだが、それもトータルでみて25年後の被爆国日本政府の対策がたいへんによろしい、とはとても言いがたいようである、日本のかなり広範囲にわたって被曝された方々は不幸なことながらもいつか将来その身にどんなことで「原発がでる」かもと覚悟は決めねばなるまかいと考える、人ごとではなく日本に住んでいればどこであってもほぼすべての人がそうであろう。被曝は福島だけなどとは考えてはならない、だれでもなく自分の、自分の子孫のごく身近な大問題である。われわれは子孫に顔向けできない大事故を起こしてしまったのである。 何とかいう「国際専門家会議」は3.11の半年後に福島でわけのわからぬ事を発表した「チェルノブイリに比べてずっと軽微な事故で、事故直後の保護や避難など対応も適切だった、住民への健康被害はきわめて小さいと考えてよい。1〜20ミリシーベルトとしたICRPの基準も、インドなどにはこの程度の放射線を自然に発生する地域もあるが住民は健康に暮らしている」、と日本みたいな国でならこんなエエカゲンなことを言っても許されると考えたか、田舎へ行くとついハメが外れてしまい、いわずともいい本音がついポロッと出てしまうようで、「優れた原子力技術」などと勝手に自慢してみても、ソトからは「日本ごときところでは」と、いかにしんからナメられているかもよくわかる。 ![]() データーの一部だけを切り離して、針小棒大に理論付けすれば、どんなことでも実証的科学的に「証明」はできるものである。そう考えるのなら自分がどんどんどんどん好きなだけタップリ浴びればよかろう。誰も止めはしないから。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() しかし推計はあくまで推計であって、どこまで信用できるかは不明な、たいしてアテにはならないものであるし、計算式はICRP(国際放射線委員会)とECRP(欧州放射線リスク委員会)によって違う、外部被曝は同じだが、内部被曝の推計値はICRPがすっと小さくなり、ごまかしといわれ、実際にはいまのところ内部被曝量を正確に計る方法はない。 (内部被曝は認めない、低線量被爆も認めないというヘンな恥さらしの被爆大国でも、最近は内部被曝量が計れる機械(ホールボディカウンター・WBC)の導入が東北などでは見られるようで、全国に百台ばかりしかないようで、申し込みが殺到しているという。ウクライナとかの外国製であるようだが、しかしこれでもあくまでもγ線のみを計っているもので、最悪のαやβは計れない。内部被曝していても取り除いたりするなどの確かな方法はないが…)。 こんなもので安心安全などいわれてもゆめゆめ信じないことである。それは安心安全だから病気が出ても、出るに決まっているがしかし一切補償はしませんよという、補償打ち切りのための線引きの言葉だと理解しておこう。 100シーベルトなら即死、8シーベルトで100%死亡、4シーベルトで50%が死亡、1シーベルト被曝すれば5%の人が癌で死亡するとされている。福島の児童の校内被曝20ミリシーベルトならOKなどと文科省がいうのは、校内被曝だけでも0.1%の子が死亡する量になる(子供は大人より3倍くらいは被害が大きいため、0.3%になる)。舞鶴10万人全員が20ミリシーベルト被曝なら100人が死亡という値で、どれだけ児童がいるのかわからないが、舞鶴でもし100人も(子なら300人も)死亡すればどんな大変な大惨事かを考えてみればわかろう、交通死亡事故なら運転手などはその場で逮捕、小会社なら倒産は免れない、福知山線脱線事故の死亡者がこの数値だが、どれほど社会に深い衝撃を与えているか、交通事故による死亡者はだいたい府内全体で1年間100人くらいで、舞鶴は5人くらいである。 0.1%死亡だから、残りの99.9%の人はビンビンの健康体などと考えてはならない、程度の差はあっても彼らもまた生涯頻繁に入退院を繰り返し、決してなおることない正体不明の病気に苦しむ。 ![]() アメリカの原爆開発のそもそもの目的であったナチはすでに滅びていたし、日本も一部の狂人軍部をのぞいてもう限界に達していた、日本との戦争終結を早めたいという目的なら、何も大都市に落とさずとも人のいないところへ落としてもいいのだが、わざわざ空襲をしてこなかった無傷の都市の上へ、しかも人が最も屋外にいる時間帯を選んで投下したといわれ、こうした原爆投化による人的被害を知るための人体実験でもあったようである。低国の子孫が判断しても見下げ果てた者どものナチや低国の殺人鬼どもすら思いもつかないほどの残虐行為であるが、人間が人間に対して許される行為であろうか、しかも民主主義とか人権とかに高い価値を置いているはずのアメリカをしてであった、しかしこの後はこうしたドクソどもやその追従者どもが世界を支配していくことになる。核兵器というものはいったん軍人屋や政治屋が手にすれば当初の目的を離れて無防備な人々の頭の上で実際に使われるという実例で、人類が亡ぶ日まで記憶され続ける恥ずべき、アメリカとすればどこへも顔向けできない汚点の歴史である。 放射線を死ぬほども浴びても人の五感では何も感じない、痛くもかゆくもない、しかししばらくの後に悪心や嘔吐、ひどければ失神や昏睡があるという。爆心地に近ければ近いほど早く死んでいった、死亡までの時間は爆心地からの同心円上の距離に正確に並んでいて、まるで申し合わせたかのように同じ悲惨な病状で死んでいった。これは「死の同心円」と呼ばれるが、爆心からの距離の二乗に比例して被曝量はすくなくなり、生き延びられる確率はあがる。一体何が原因なのか医師達も経験したことはなくわからなかった、チフスかペストなど伝染病を疑い死亡者を密かに解剖し内蔵を観察したりもしたが、そうではなかった、さらに調べてみると血液がおかしい、これはどうやら強烈なレントゲン線かラジウム線などを発した新型爆弾のせいらしいとわかってきた。身の毛がよだったという。 幾日かしてまず無数の紫斑ができる、内部出血であるが、そして喉が腫れる、扁桃腺が腫れるというか壊死する、口内粘膜はじめあちこちの体内も含めて粘膜から出血する、髪の毛が多量に抜け落ちる、最後はゴボッと血を吐いて血だらけになって息絶える。東海村で起きた悲惨な事故死と同じである。 もし舞鶴の軍事基地をねらった核弾頭がその上空何百メートルかで爆発すれば、今の核は広島長崎とは比較にもならない強力さ、最低ですら100キロトン、広島長崎の5〜10倍はあろう、弾道軌道へ打ち上げられればイージス艦のタケヤリミサイルは撃ち落とすことはできない、近くの国からだと10分とかかない、地球の裏側からでも30分で飛んでくる、誰も逃げることなどはできない、舞鶴の全域が致死量以上の線量となろうから、全市民がこうして死んでいくことになる。病院もすべて吹き飛ばされているし医師も看護師もいない、いたとしても効果的医療はない、もう助ける方法はない。五老ヶ岳の上空600メートルでもし核弾頭が爆発すれば、自分の住んでいる所がどうなるか、想像すればよい。 もしやどこかの国の軍人屋や政治屋が日本へ落とすというなら核兵器大好きの老人などを知事に選んできた都市やそのお仲間どもの都市へ投下してくれよ、日本には大好きがいるのだからそこへ落としてやれ、舞鶴へは落とすなよ。(あくまでも冗談です、どこであっても決して落とすな、日本もそうしたものは、ボーソウ老人やボンボンが何とバカを言おうとも、決して保持してはならない) ![]() グレイ以前はラドといった、ネズミを殺すX線量が1ラドで、1グレイ=100ラド。人は1000ラドで、だから10シーベルトで30日以内に死に到るとされている。 1999年に東海村JCOで臨界事故があり、作業員は20シーベルトもの被曝をし、83日後になくなった、さらにもう一人もなくなって、原発関連死として公式にも認められている、原発で死んだ人などない、などというのは大ウソである。どこかの電力会社課長とかがそんなことを言って問題となり、会社は後に不適切発言としぶしぶ取り消した。仮に本当になかったとしてもそれは「かつて誰も餓死する者などは見たことがない」というのと同じで、そのリクツで原発安全性を証明できたりはしない。 ![]() ![]() ![]() ![]() このメーカーはどうかは知らないが、大手の場合は線量の高い製品を買いたたきそれに低い製品を混ぜて全体を引き下げて売るというウマイ手があるそうである。独占企業でない場合はこうした市場原理が働き買い手が安全商品を選べ、安全でない商品を作れば倒産する、しかし現在は国家独占資本主義段階に突入しているので、その資本主義のよき郷愁の「見えざる手」が働きにくくなってしまっている。原発などはその弊害のもっともよい見本でなかろうか。 ![]() 中性子線が出る場合は、核の崩壊ではなくて、核分裂で、こんなものが出る場所にいればもうダメと思うより仕方もない。 1ベクレルであってもα線なら15億×10万回= 私の頭では計算もできないが、それほども分子切断をする計算になり、数ミリシーベルトで「めまい」「衰弱」「脈不整」などが見られ、チェルノブイリの周辺の村へ行けば「このあたりには健康な子供はいません」の答えが返ってくるというのは、こうしたことなのである。 ![]() 医学が何とか到達しているのはiPS細胞とか細胞レベルである、それを形作っている分子のレベルに到っては専門家でもわからない、私ではその能力ゼロで書くことはまったくできないが、DNA切断だけが問題ではないのだ、放射線によって何がおきるかはわからないのだ、ということを知っておいてもらいたい。 ![]() ![]()
![]() ![]() ![]() 大方の日本人の政治能力から考えて、こうした重大な問題が簡単に解決されるとは思えない、のど元過ぎれば、三歩あるけば、過去の痛い体験は忘れてしまう、おそらくは何が何だかもわからないうやむやで推移することであろうと心配する。何かネズミのような動物が穴から出てきてエサを探すのだが、目の前に犬類の捕食者がいるのに、三歩歩くとそれを忘れてしまい、襲われても穴へ逃れられない距離まで行ってしまい、まんまと喰われてしまう。アホな動物もいるものだとあきれたり悲しくなったりしたものだが、人もこの脳の足りない動物とたいして変わらないように思えてくるのである、危機は目の前に山ほどもあって一瞬でも注意を怠れば、いとも簡単に死んでしまうものだということすらも小さなエサに気を取られて忘れてしまう、賢い頭をしているのだからしっかり過去を覚えていて、危険を避けてこそ将来の身の危機も避けられるのである。 原発事故で本当に自分は死ぬと本気で心配していたら、何もできなくなるので、そのあたりは人間はエエカゲンにできていて、まあそうは言ってもそうめったなことはあるまい、クニがなんとかしてくれるだろう、と考えるように作られている。そういった習性が備わっている。別に個人的にエエカゲン性格の持ち主であるわけでなく、種としてそうした性格のようである。脱原発の有権者が核推進党のマネばかりをする政権党にノー、そしてその核推進党に投票したりする。批判を持って行く所がないし原発が爆発することも推進党が本気で推進したり核武装したりすることもまさかあるまい、と見ている。国民も政党もそのかなりエエカゲン楽天性格のおかけで今までは進歩してきたのかもわからないが、核時代にもそのままでよいかは別である。 超巨大で超おぞましいエネルギーである原子力はエエカゲン人間が生み出したエエカゲン人間の分身でエエカゲン人間自身の姿である。人間とは何か本来の人間とは何かを問いかけてくる、人間は人間であり続けられるか、人間ではなくなるのか、現代人が自身を問わねばならない。 いかにその自動車が作られた当時の安全設計されたものだったとしても、それが30年前の時代物であり、どこかの老朽トンネルのようなもので実際に何が起こるかもわからない、実際に働いている運転手や整備員は低給で不安定な派遣さんばかりでまともな安全訓練は受けていない、自動車運転会社のトップは事故隠しと、安全です天国です、と言うのだけがお仕事で、さらに今度からはすごい燃料で走ります、燃やした燃料が増える燃料ですわ、とアホを言う、ホンマはね、ウエの方はこいつで原爆がつくりたいんですがな、アタシもイカレてますが、あそこまでジャアクではありまへんですぜ。道路はないようなもの、歩道はなくガタガタ裏道もなく人はどこへも避けられない、交通行政も自治体も政治屋もめでたく低脳でまともな判断力や能力もなく危険だ何とかしろといわれても何もしようともしない、町の人は車は必要ですさかいにばかりで、安全無視の飛び出し暴走ばかりの連中という中で、本当に自動車の安全運転はできるだろうか。 こうした広い裾野の総合的な安全基準はない。もしあったならばたしてその基準をクリアできるだろうか。 この問題はいっぱいで、すべては取り上げられないが、 ![]() ![]() 多量に被曝もするが受け取る賃金はピナハネされて、地元企業よりは「ちょっとよいかな」の水準である。 線量が高い場所のC服(福島原発)→ ピッタリ顔に密着しないし、息が苦しくなり、ついついマスクを外し、被曝する。仲間との声のコミニュケーションがまずとれない。 電力労働組合などといって大きな顔して発言しているが、あれはウソである、一番待遇の良い連中だけの全体の1割にも満たない者の組織であって、何も全原発労働者の声をまともに反映はしていない、御用組合で、メーデーのパレードでもそばで行進するのも普通の労組員からも忌み嫌われている。(彼らも御用組合であるが…) ![]() これは敦賀原発か→。 「これだけの装備をしていても、放射線は服や手袋を通過して肉体に突き刺さってくる」と書かれている。 ![]() それで天国だ天国だとラッパを吹くわけだが、何も汚染のない中央制御室の様子だけが放映されるが、あそこは汚染はない場所。しかし彼ら9割以上の労働者が働く実際の様子などが放映されたことも展示され宣伝されたこともない。もちろん彼らがいなければ原発は稼働できない。誰も踊りもしない。 日本の労働者はおとなしいので破壊工作はないかも知れないが、それをよいことにしてばかりにはいられまい。ちょっとした手抜きから爆発になるかも知れない、早急に今の下請け9割以上依存は改めないと将来的には禍根を残すこととなる。 しかしそのようなことは誰もしようともしない、逆に経営環境が厳しくなり、オンタイは突撃ラッパを吹くばかり、御用労組では何か有効な手立てを考えたりするわけもなく、別に電力関連ばかりでなく労組はその組織率は2割を切っており、小さい企業にはまず組織されていない、大きいところは御用化していて、労組とは名ばかりで実際は労組員の利益を守れるというものではなくなってしまっている、監督官庁も御用なら医療機関も御用、どこもかしこもまともに仕事をしないで放置してきたので、山積する問題はほぼ解決不能、彼らの労働環境悪化はいよいよ耐えがたいまでに進む。 こうした職場が本当に立地地域の経済や社会に何かプラスになるのであろうか。 日本のエネルギーを支えるとかの原発だけではないが、世界一とかの日本の大企業などは本来がすべてこうした程度でひどく矛盾に満ちあふれたものである。下請けを買い叩き、労働者を非人間的無権利状態にして、はじめて成り立っているものである、こうした恥部を持たずには一日たりとも存在できない、恥部を覆い隠すメディアなどや自治体なども含めて隠蔽機関が幾重にもなくしては一日としてありえないものである。 いまさらに書くまでもない資本主義の誰でもよく知っている秘密、その不合理の大親分が原発様ということで、ここは資本と労働者の天下分け目の戦いとなってくるはずなのだが、どうやら労働者は知らぬ顔のよう、目下は市民と資本の戦いの様相である。 どこが世界最先端技術立国なのか、子供っぽい笑える言い方である。仮にかれらのすべて潰れても別に帝国軍が滅びた程度のことでしかなかろうか、すぐに外国企業か来て、かれら以上立派に日本に貢献するかも知れない。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 3号機は2011、1月よりプルトニウム運転を開始した、すぐに3.11が発生し4号機は運転できていない。 ![]() 提案者の3町議は、高浜原発と商売を通じて利益を得ている、利害関係者で、これまでに4億も5億も儲けさせて貰っているという議員であった。もっともらしいことも一応付け加えてはいるが、要する原発を今までのように続けてワシにもっとおこぼれをくれの恥も外聞もない「宴会つづけてくれの意見書」を、まだまだ福島では避難の人がたくさんいて先も定まらない中で全国に先駆けて採決したことになる。 反対は共産党の一人だけだったというが、「全国に先駆け原発推進の意見書を可決したのは町民として恥ずかしく、福島の方に申し訳ない」との町民の声もあるという、子や孫が澄んだ目でじっと見つめているのだぞ、その子や孫が悲しまないためにも全世界から笑われることはするな。 避難ですめば幸い、避難では済まない、移住である、事故あれば町民全員がふるさとを捨ててどこかへ移住しなければならなくなる、そうなる前に原発を止めるのが正解だろう。舞鶴あたりでも避難訓練とかやっているが、本気にやる気ならば移住訓練をやれ、30q圏などの近い所はもう帰れない、移住である、日本にも住めなくなるかも知れない、海外移住訓練をするか、そうなる前に原発、特にプルトニウムを使うものは廃炉にすることである。 ![]() また町職員の不祥事が2件あった、天国の人々の心の頽廃は深刻である、一部では、多くでもか、もう邪悪と呼ばれても仕方もないレベルにまで落ちているし、それが自分に自信がないために暴走するように見られる。 ![]() 参考文献こうした書を読まれればどうでしょう。さいわいにけっこうたくさんありますが、少しだけを。本ページでもところとごろ引かせてもらいました。ゲンデンの隣にある軍事基地の町・舞鶴ではこのような書籍を集めたコーナーは図書館にも本屋さんにもない。借りる人も買う人もないのだろう。死神の高笑いが聞こえてくるような町。 簡単に手に入れたければ、ひょっとするとアマゾンさんくらいかも… (1)『チェルノブイリ報告』(広河隆一・岩波新書) (2)『内部被曝』(矢ヶ崎克馬・岩波ブックレット) (3)『原発のコスト』(大島堅一・岩波新書) (4)『悪性リンパ腫多発地帯の恐怖』(明石昇二郎・宝島社) (5)『原発事故を問う』(七沢潔・岩波新書) (6)『プルトニウムの恐怖』(高木仁三郎・岩波新書) (7)『朽ちていった命』(NHK・新潮文庫) (8)『原発を終わられる』(石橋克彦・岩波新書) (9)『六カ所再処理工場』(小出祐章他・集英社新書) (10)『原発はなぜ危険か』(田中三彦・岩波新書) (11)『原発労働記』(堀江邦夫・講談社文庫) (12)『プルトニウム発電の恐怖』(小林圭二他・創史社) (13)『原発のウソ』(小出裕章・扶桑社新書) (14)『3.11複合被災』(外岡秀俊・岩波新書) (15)『低線量・内部被曝の危険性−その医学的根拠−』(医療問題研究会編・耕文社) (16)『内部被曝』(肥田舜太郎・扶桑社新書) (17)『広島の消えた日』(肥田舜太郎・影書房) (18)『広島・長崎でなにが起こったのか』(飯島宗一・岩波ブックレット) ![]() |
資料編の索引
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高浜プルトニウム原発
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